ここは水上機の実機練習部隊として訓練に従事していたが、沖縄戦に備えて飛行艇実施部隊・特攻作戦基地として偵察・攻撃に従事した基地跡です。
現在、跡地は香川高等専門学校詫間キャンパス(旧、詫間電波)や地元企業などに使われています。
石碑の反対側には防空壕があります。
またここの手前に下へ降りる道があるのですがそこを進むと、詫間海軍航空隊スリップ跡・詫間海軍航空隊滑走台があります。
先は行き止まりになってます。
この防波堤の向こうにスリップ跡がありますがよじ登らないといけません(^^;)
他の方の記事では、どこからか入れる場所があるという記事を見かけましたが・・・
このスリップ跡は、太平洋戦争開戦とともに、航空要員の大量養成を図るために、実用機を用いた実機練習航空隊を急造し、1943年(昭和18年)2月には、横須賀鎮守府と呉鎮守府が統率する3個練習連合航空隊を統括する「連合練習航空総隊」が編制されました。
この一連の増強計画の中に、呉鎮守府第12連合航空隊所属の水上機実機練習航空隊の一つとして、香川県三豊郡詫間に設置されたのが詫間空である。詫間空では12機の水上偵察機とともに、48機もの練習飛行艇を備え、飛行艇搭乗員の重要な養成施設となった場所です。
詫間海軍航空隊は、昭和18年6月1日に開隊されました。当初は水上機の実用機教育を行っていましたが、その後、沖縄戦に備えて飛行艇の一大基地となりました。昭和20年4月にはこの基地から特攻隊員が初出撃。
8月の終戦を迎えるまでに57名もの尊い命が失われました。
この地域の天気は、「ウエザーニュース三豊市」を参考にしてください。
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