2019年9月18日水曜日

日本の岬九十箇所巡り(福岡県 部崎)-32/90-

今回は福岡県北九州市にある部崎(部崎灯台)です。
(この記事は2017/9/27に旅した時のものです。)

この日は朝から大雨、スマホをナビ代わりにしてる私はスマホに水滴があたり誤作動ばかりして
朝っぱらからイライラしてましたが・・・

そんな事はさておき、九州最北端の部崎です。






ここは道も整備されておりスムーズに行くことができます。
駐車場から灯台までは階段を登るのですが、私が行った時は改修中でした。

今は綺麗に整備されてるみたいです。



部崎(へさき)灯台は、日本の灯台50選にも選ばれ、近代化産業遺産の一つです。

一日に千隻以上の船が出入りするといわれる関門海峡の、東の玄関口に当たるこの灯台は、慶應3年(1867)4月、江戸幕府が兵庫開港に備えて英国公使と約定した五灯台(友ケ島、江埼、和田岬、六連島、部埼)の一つでした。

英国人技師 R・H・ブラントン設計によって建設された重厚な石造りの灯台で、明治5年(1872)1月22日に初点灯、昭和56年(1981)10月に無人化されました。
現存する灯台としては九州で最古の灯台らしぃです。

灯台の反対側には、僧清虚(そうせいきょ)の碑があります。
ちなみに下の駐車場のところにも像があるんですが、なんせ大雨でそんなの見る余裕がありませんでした(^^;)

 天保7年(1836)大分県国見町出身の僧 「清虚」は、高野山へ修道に向かう船中、部埼周辺の海が暗礁が多く航海の難所となっていることを知り、「何とか多くの命を救おう」と、下船してこの地で船の道標となる火を焚き続けることを決意しました。


清虚は日中に托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、一日一食の生活を続け、74歳で亡くなるまでの13年間、雨の日も風の日も、読経とともに火を焚き続けたのです。 その後、部埼灯台が建設されるまで、清虚の偉業は村人により引き継がれました。
昭和48年(1973)には、地元有志により、灯台の袂、僧清虚の像が青浜海岸に建立され、航海の安全を見守っています。

また、灯台後方の山頂付近にあった清虚の火焚場は大雨により失われていましたが、平成20年、清虚が松明を灯し始めてから170周年を記念して、「僧清虚顕彰会」により復元されたらしぃです。
(北九州市のHPより引用)




てなことで、日本の岬 32箇所目制覇!
32/90

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