2019年12月23日月曜日

掩体壕(高知県南国市)


国内最大級の掩体壕郡がある南国市の掩体壕を見に行ってきました!


国道55号線を高知市から西に向かい県道31号に入り、海の方面に向かって走ると、 空港の滑走路をくぐります。

そこから田園地帯を走っていると突如現れる コンクリート剥き出しの無骨な建造物が見えます。

掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる、戦闘機を空襲から守る防空壕。

 かつての高知海軍航空隊基地、現在の高知龍馬空港の近くに多数残されています。

 帝国海軍航空隊の高知飛行場は偵察要員の教育を主目的として、1941年(昭16年)1月に建設開始。

 大東亜戦争(太平洋戦争)末期の1944年(昭19年)3月に完成しました。

 滑走路や誘導路、トーチカの他、基地周辺に 有蓋掩体壕9基と無蓋掩体壕が32、合計41基ほど建設されていたそうです。

 戦後はその多くが消失、現存しているのは有蓋掩体壕7基だけとなっています。



この地区にある掩体壕は現存は全部で7つ
グーグルさんでは5つしか表示されません(^^;)

 これは6号掩体壕付近から撮りましたが、3号掩体壕が一番最初に目に付くんではないでしょうか



南国市のHPに「掩体は語るパンフレット」PDFがありますのでご覧ください。


 高知飛行場には偵察要員育成の練習航空隊である高知海軍航空隊が配置され、練習機「白菊」でもって日夜訓練に励んでおり、あくまでも練習部隊ということで実戦には参加していませんでしたが、訓練中の事故や敵の攻撃などにより命を落とされた隊員が数多くおられたそうです。

 1945年(昭20年)に入ると戦局は悪化。

 練習部隊も教育訓練を中止して実戦部隊として前線に動員されることになります。

 同年3月、練習機「白菊」でもって『神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊』が編成されます。そして翌4月、連合軍の沖縄上陸を機に発令された菊水作戦に参加した『白菊隊』は、機上練習機「白菊」でもって特別攻撃に参加。

 高知航空基地から鹿屋基地や串良基地に進出し、両基地から飛びだった「白菊」のうち26機が敵艦に突入。

 搭乗員合計52名(注:「白菊」は2人乗り)の搭乗員が散華されました。

 1945年(昭20年)6月21日の菊水10号作戦を最後に菊水作戦が終了すると、高知飛行場には「白菊」はなくなり、”航空機のない飛行場”となってしましました。

 基地自体も米艦載機や爆撃機の猛烈な攻撃により使用不能状態に陥っており、搭乗員・基地要員の多くは陸戦隊の訓練と予想される四国南部への連合軍上陸に備えての陣地建設に駆り出されたとのこと。

 そして8月に終戦・・・。

 高知海軍航空隊は、開隊後1年半あまりで解隊となりました。
(一部引用)

そんな歴史のある掩体壕ですが、5郷掩体は公園と整備され近くで見学できます。





ちなみに4号掩体壕は大きく、国内最大級と言って過言では無いのではないでしょうか。

また7号掩体壕は”道路が貫く掩体壕”であり、掩体壕の中に自分のバイクや車などを止めて撮影できる唯一の掩体壕でもあるのです。
あまり道幅も広くなく、掩体壕の一部を壊してるので、あまり背の高い車は無理かも。




この掩体壕は比較的綺麗なつくりです。
まだ物資があった頃に作ったものなんでしょうね、コンクリートを流し込むのに敷板を使ってたものと思われます。内部は敷板の後が残ってます。













ちなみに向こうに見えるのが4号掩体壕

バイクの向こうに見えるのが7号掩体壕
画像を大きくしたので画質が荒いですが・・・
道路の中にあるように見えます。







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2 件のコメント:

  1. またまた教えられました( ̄◇ ̄;)戦時中を想像してしまい、ちょっと涙がちょちょぎれます(涙)

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    1. ありがとうございます( ̄ー ̄)ニヤリッ。
      そうなんですよね~若い頃は歴史にまったく興味なかったんですが、今、昔を知ることが楽しくて、忘れてはいけない事ですよね。それにその頃の時代の生き様がかっこよくて!ずっと残してもらいたい史跡ですね

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